ATFコラム

ホーム > > 方言が持つ底力、坂本龍馬・異聞

方言が持つ底力、坂本龍馬・異聞

ある対談で、永 六輔さんが、宮沢賢治の詩「雨にも負けず」のことを彼一流の言い回しで語っていたことがあります。
つまり、永さんの印象では「どこか偽善的で、大嫌いな文章」と~。

で、話は続きます。
永さんが文字通り永年そのように思っていた賢治の「詩」でしたが、岩手へ旅した時のこと、地元の朗読会で方言そのままのおばあちゃんがこの詩を素朴に読み上げているのを聞き、感動して涙が止まらなかったと、率直な感動を述べ、「方言が持つ力」の偉大さをあらためて痛感したと感激していました。
「方言」はその地方の土地・風俗に密着した言語形態ゆえに素直な感情表現が端的に表現されているので心に響くのかもしれません。
映画やドラマでも、最近は「方言指導」という先生方が担当・指導しているので、時代考証や方言に、私がメディアの現場にいた大昔のそれとは格段の差があり、感情や状況を見据えた大きな脇役を占めている実感があります。
そのドラマの方言で、一番、印象に残るのは、どのドラマに登場して来ても土佐弁一本やりの御仁...そう、時代を見据えた「究極のTRY兄貴」、プラス思考全開の「坂本龍馬」ではないでしょうか。

実は最近、元町がご縁で、ある若手女性ソプラノ歌手「N.M.子」氏と「歳の差」お友だちになってもらった折り、驚いたのは土佐弁が上手いのなんの。
お酒も強いからてっきり土佐の人だと思っていたところ、横浜を中心に活躍している先輩女性歌手「K.A.さん」が「サカナ屋のお嬢さん」と彼女の事を言うので、やっぱり土佐だと。
そうしたら「セタガヤのお嬢さん」を「さかなやのお嬢さん」と聞き違えていたことが判明して大笑い。
確かに似てはいますが...。

では、なぜ、彼女は土佐弁が上手いのか?

歌唱の発声練習で土佐弁がイイんだと思ったり、不思議だったり、さては、土佐っぽ(時代的な差別用語でした~謝!)に恋人かと思いきや、正解は「土佐弁翻訳機」なるアプリがあって、英訳和訳と同等の方言翻訳力の、その正確さに驚いた次第です。
だいたい、土佐弁を好む傾向は「キ」がつくほどの坂本龍馬ファンに見られる傾向で、全国の皆様におかれては、それぞれのエリアで土佐弁を連発している方々も、さぞ多いことでしょう。
丁度、2008年にATFに出稿した「同業(質屋)の先人たち」に、この龍馬のことを書いた小文がありましたが、以前、お目に留めて頂いた皆さまも多いことと存じます。
新たな会員様や一般の皆さまで、何かの話題にご利用ご希望の場合は、事務局までお問い合わせくださいますれば、別途、データ送信をお願いしておきますので、どうぞご利用下さいませ。

さて、龍馬一色の日々を送っている皆さまは、「プラス思考は~ ゴッツウ エエことばかりゼヨ~」という龍馬氏の声も、どこからか聞こえていることでしょう。
余談ですが、龍馬は勝海舟と一緒に横浜に来ているという記録が、私が以前在籍していた会社の資料棟、ロンドン博物館の隣りにあるJardine Matheson Groupロンドン資料室に残されていました。

勝サンは横浜港の造営事業に、明治維新で職を追われた旧幕府の人々を救済する目的で、10数万人の就労を横濱に世話した人で、おかげで最初の横濱港(現在の象の鼻)が出来上がったわけですが、そのキッカケは坂本龍馬が、同社(Jardine Matheson)の長崎支店長・トーマス・グラバー(後のグラバー商会)の営業統括部長(General Manager:実際は日本最初の株式会社・亀山社中代表)として薩摩・長州・土佐を取りまとめる仲介役(エージェント)を務めていたことに由来しています。
更に、記録によれば、グラバーは人が良すぎて、コゲつきや負債が山積し、ジャーディンからの資金援助を打ち切られており、グラバー商会(トーマス・グラバー)には龍馬に支払わなければならない船や大砲、銃器の販売手数料が無かったために、直接、ジャーディン(横濱・英一番館)に受け取りに行ってくれと指示した~とあります。

都合3回、龍馬は来濱し、ある時は、横濱一番の遊郭(岩龜楼:Ganki-ro)で1週間(※Over 7 working days 1日も顔を出さず~と記録があるので、現在ならほぼ2週間か)を費やし、それ以外は横濱が「気に入った」らしく、今も横浜駅西口の高台にある老舗料亭「田中屋」に入り浸っては(宿泊していた)、2階から、遥か下の野毛の浦(横浜駅一帯の海の名称)へ糸を垂らして、「釣りを楽しんでいた」とあります。
龍馬が暗殺された後、一人になった妻の「お龍(りょう)」さんが、横濱に来て田中屋を頼り、持ち前の負けん気から仲居頭にまでなったのは、龍馬と訪れたご縁があったからと言えるでしょう。
龍馬も「ヨコハマ~に来たゼヨ、ヨコハマは、まっことコジャンとしちょるきに、おまんも、ちっくと寄っと~せ」と言っていたのかも知れません。

ちなみに、以前、NHKの大河ドラマでの福山・龍馬ブームの折り、京都や長崎に観光客がワンサカ押しかけましたが、地元、土佐の経済効果は当時の金額で700億円。

さて、本年、1月15日は龍馬の妻、お龍(ryo)さんの命日でしたが、菩提寺の横須賀「信楽寺」(shin gyo-jiと読みます)さんは大混雑でした。
一方、龍馬が眠っている京都・霊山護国神社も大混雑の名所となっていますが、龍馬が暗殺された1867年以来、この二人が143年ぶりに横須賀で対面を果たしたのが2010年のことでした。
京都の宮司、木村隆比呂(kimura takahiro)氏が「神仏を越えて二人を引き合わせたい」との一念で、龍馬の御霊(mitama)が納められた木札を携えて、お龍さんが眠る「信楽寺」を訪れ、墓前に供えたのです。

折りしも、このニュースを伝えた当時の朝日新聞朝刊が、再読中の龍馬の分厚い資料の間に挟まっていて、昨夜、懐かしく目を通していた次第ですが、それは東京本社版で、通算発行番号が「44444号」(日刊)と、ナント「4」並び。
1年365日で単純計算すると「121.7年」の月日を費やして、この大新聞は「44444号」までたどり着いたわけですから、龍馬とお龍さんが再会を待つようになった別れの瞬間より、朝日新聞東京本社版は20年以上後の発刊ということになります。
何か、記念になる「44444号」ですが、次に全部同じ数字で並ぶのは「55555号」ですから...26年後の「2041年」の話となります。

脱線しましたが、方言を大切にしなければならないお話を、龍馬の余談と共にお届け致しました。

あレッ...?!
龍馬研究家ってバレてしまいましたネ? (笑)

全国の会員さまならびに一般の皆さま...お便り、ご返信をお待ち致しております。


Tommy T. Ishiyama